作品解説

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22歳、神雷部隊桜花隊の第一志願兵となった。
そして23歳の自分は、同志の名を黒板に刻み、死へと送り出した――

­ 林冨士夫は、人間爆弾と言われた特攻兵器「桜花」の第一志願兵であった。攻撃部隊の正式名称は、神雷部隊桜花隊。
­ 特攻隊は志願であり命じられるものではないが、出撃する日時は命令で決められていた。当時、海軍大尉であった彼は、上官から出撃隊員を選ぶよう命じられ、隊員の中から選出し、その名を黒板に書き、多くの同志達を死へと送り出す役目を担っていた。
­ 出撃者を送り出した後、誰もいない場所にひとり駆け込み、尽きぬ涙を流しながら―。

「死ぬことに関しては、兵学校に入った日からもう決まったと思っていました。」

­ 若き日の彼は、バイオリニストか、声楽家になる事を望んでいた。しかし戦争という大きな壁が立ちふさがった。時代が戦争一色であった事、父親が軍人であった影響もあり、東京帝国大学よりも難関と言われていた海軍兵学校へ進学。軍隊に入る事が死を意味する事を当然の事と受け入れていた彼は、飛行機に魅せられていく。
­ 1944年飛行学生を卒業。筑波海軍航空隊に在籍後まもなく司令より、林を含むいずれも海軍兵学校出身のエリート士官等が会議に招集され、後に「桜花」と呼ばれる兵器の構想計画を提案される。彼らから最低2名の賛同が得られれば、その志願を根拠に「桜花」作戦を決行するのが飛行長の説明であった。
­ 日本の行く末、家族、自分自身の未来…、「人生最長の3日間」とのちに述懐する苦悶の時間を経て、最初の特攻志願者となる決意する。かくして日本海軍は、世界史上初めての特攻専門兵器、人間爆弾「桜花」の実戦使用の準備に着手する。そして海軍に続き陸軍による特攻も開始されていく。

「ああ、こんなもんか。これが俺たちの棺桶になるのか。」

­ 自分たちの命と引き換えに乗り込む十死零生の新兵器を間近に見た彼は落胆したという。
彼に与えられた第一の任務は、特攻志願してきた青年兵士たちに、特攻飛行の綿密なテクニックを教育する事、有人誘導する兵士の育成。
­ 第二の任務は、特攻志願者の名簿から翌日の出撃者を選出し、送り出す事。
­ 当時「桜花」作戦の拠点、神雷部隊は鹿児島県鹿屋の小学校の校舎を兵舎として使っていた。分隊長である彼は、出撃するパイロットの名前を教室の黒板に書きあげる時、躊躇はなかったという。
苦楽を共にした同志、友人達を死へ送りだし、絶望的な戦局の中で彼は自分の行く時を必死に探し求めたが、その時を待たずして戦争は終わりを迎える。

私の慰霊祭は1年365日、毎日である
死んだ仲間に話しかけるのは、私の慰霊祭なのだ――

­ 敗戦の混乱、激動の時代の中で、彼はあの時代に向き合い続けること、凝縮された神雷部隊での1年半の記憶を語り継ぐことを自身に課していく。その中で、彼は天皇に対しても、無念の思いを吐露するのだった――。

 

 

「特攻に散った若者たちへ、一言でも謝罪、感謝の発言がなかった事は、非常に残念な事と思いました。その一言くらい言われるのが、人間天皇という事になるのではないかと。」
――私が望んだのは彼との対話でした。その意味で沈黙によって
1つの時間を共有し思考する事がこの映画を作る行為そのものだと思いました。

監督  澤田正道

 85年に渡仏し映画製作会社を設立、近年では第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞を受賞した深田晃司監督作『淵に立つ』、河瀬直美監督作『あん』『2つ目の窓』、黒沢清監督作『岸辺の旅』、今村昌平監督作『カンゾー先生』などをプロデュースし、多くの日本映画をカンヌ国際映画祭に送り出した澤田正道が初監督。本作で第67回ロカルノ国際映画祭の新人監督賞スペシャル・メンションに輝いた。30年以上フランスに住み、日本を俯瞰的に見つめてきた澤田が、日本人としての死生観、そして戦争という記憶を、林冨士夫との対話の中で静かに描き出していく。本作はアーカイブ映像等を用いず、林氏のインタビューのみで構成されている。既に肉体的な限界を迎えつつあった林氏から、澤田に許された時間は8日間。カメラは林氏のみを捉え、その息遣い、その沈黙から、彼の背負ってきた記憶を映し出していく。
­ 本作は、日本で初めての特攻志願者であり、亡き特攻隊員に語りかける林冨士夫の遺言ともいうべき、鎮魂のドキュメンタリーである。戦後71年を迎え、その沈黙と記憶が私達の心に刻みこまれる。